「もう咲くのか、早いもんだなあ。」
温志は、休日の朝遅く、庭を見て気がついた。
猫の額という表現が相応しいかどうかはともかく、
広くはない庭に、今にも咲きそうに膨らんだ蕾が四つほど見えた。
蕾の素は、二ヶ月ほど前に出張した離れ島で買ってきた球根である。
出張の多い温志は、出張先で土産物を探すのを楽しみにしている。
時間や懐具合によっては苦痛に感じることもあるが、大抵は楽しんでいる。
土産物探しのベテランを密かに自称するそんな温志の眼にも、
「球根」というお土産は新鮮だった。
「植えてもらえれば二ヶ月くらいで花が咲きますから、どうぞ買って行ってくださいな。」
「いつ植えてもいいの?」
「はい、温度管理をしてありますので、春から夏、あるいは冬の終わりに植えていただければ、
ちゃんと咲きますから。」
温度管理をしていることと、だいたいいつ植えても花が咲くこととの関係は理解できなかったが、
聞き返したところで、売り子にも答えられなかったであろう。
「モノは試しだ、これとそれ!」
「はい、ありがとうございます。」
モノは試し、ってどういう意味だろう、などと自問していたら、
球根は古新聞に包まれ、取っ手付きの頼りないビニル袋に入れて渡された。
新聞紙にくるまれたお土産、というだけで価値があると思った。
鮮魚やら野菜の類なら古新聞もよくあるが、球根という生き物にも古新聞は都合がよいのだろう。
庭には、入梅直後の雨が静かに落ち続けている。
そういえば、小学校の頃の遠足で、担任の先生がお弁当を包むのに古新聞を使っていたなあ。
温志は、球根を包んでいた古新聞から、連想を始めた。
古新聞は暖かいし、汁がしみ出ても大丈夫だったんだな。今頃になって理由や理屈が分かる。
しかし、今の時代、お弁当を古新聞で包んでくる奴はいないだろう。それはなぜなんだ?
温志の頭の中には、「時代の流れ、豊かさ」というありふれた言葉が浮かんできた。
ありふれた言葉しか浮かばないと、それだけで小さな嫌悪感に陥るのだが、
だるさで嫌悪感も薄らいでいる。
蕾の色は淡いオレンジと、薄いが主張の強いピンクだ。
六種類かそこらあった球根から、この二つの色を選んだのはなぜだったかな・・・
疲れが抜けきらない頭で思い出そうとしてみるが、思い出せない。
自分で煎れたコーヒーで口を浸しながら思い出した。
二人の娘が、それぞれ好きな色は、今は何かなと考えながら選んだんだっけ。
その娘たちは、妻と一緒に出掛けている。また例のショッピングセンターか。
コーヒーを飲んでいるという行為に矛盾するけど、もう一眠りするかな。
有意義とは言えない休日が正午を迎えようとしている。あの離れ島も梅雨入りしていることだろう。
続く・・・