ハイヒールが右足の小指の付け根付近に噛みついた。
「いてっ」
静かな車内に、自分の声が漏れる。
「済みませんでした。」
30代かな、40くらいかな。小柄な女性が自分に向かって頭を下げている。
私は、その女性の方へ顔を向け、怒ってはいません、
という意思表示をする。
イヤホンを耳にしたまま。そう、イヤホンを外したら女性に対して威嚇の動作になってしまう。
そうなることが面倒だったからだ。
その女性が再び「どうも済みませんでした」と言いながら、次の駅で降りていった。
電車のちょっとした揺れぐらいでふらつくくらいなら、ハイヒールなんて履くんじゃねえよぉ。
二度も謝られると、かえって怒りが増し、頭の中にそんな台詞が浮かんだ。
今夜はとても疲れていた。疲れていて面倒くさいと思えたから良かったのだ。
元気が残ってしまっていたら、あのとき、イヤホンを外して、その台詞を口にしていたかもしれない。
自分が降りる駅に電車が滑り込んで、ふと思った。イヤホンをしていて良かったと。