(3)平等主義からの脱却(平等教育からフロントランナー教育へ)
知財制度の本質は
『個性的な創造を尊重し、護る』
というところにあるのですから、個人的には知財教育も個性を伸ばす教育であるべきと思います。
ここでいう「個性を伸ばす」とは、
平等主義を脱した教育手法に進化すべきであるということです。
(あくまで私個人の意見であり、日本弁理士会の支援センターの方針とは無関係です。)
キャッチアップ経済の下では、『結果平等』という戦略、平等教育という戦術が正しかったのでしょう。
しかし、技術分野でも経済経営分野では、フロントランナーが求められ、
フロントランナーの出現が期待されている現在では、平等教育は時代に合っていない、
ということは色々なところで言われています。
機会平等と実績報奨とをコミットする社会(会社)が求められています。
とすれば、社会がそうなのだから大学教育もフロントランナー育成を前提にする、
というのも一案ではないかと考えます。
(「大学の本分が実社会のみを見るのではなく、真実の探求にある」、
という価値観もあるので、断言はできないわけですが。)
ただし、どの分野でどんなフロントランナーが出現するかも予測できない時代です。
「個性を伸ばす」というためには、
様々な事例を学生に紹介できる教育体制が望まれるように思われます。
実社会が極めて多様化、細分化しており、
その中から一つでも自分に合ったものを見つけてもらう、
ということが「個性の発見」に不可欠だと思われるからです。
「創造(発明)」は「発見」がなければ進みません。
そのためには、教員の多様性が求められるでしょう。
一人ひとりの教員が幅広い視野を持ちましょう、
といった活動、研修などの体制だけでは、きっと足りない。
多種多様な教員やゲスト(現在のフロントランナー経営者など)が
オムニバス形式で実社会に即した授業を展開する、
といった試みも始まっているようです。
また、知的財産法を基礎科目、必修科目とする大学も出てきました。
そうした試みの中からは、弁理士に対して大学での授業やセミナーから要請される機会が益々増え、
要望されるテーマについても多様化するでしょう。
たとえば、「知財のマネジメントについて」、「創造と特許制度」、「知財の財産性、流通性について」、
といったテーマが予想されます。
こうした『要望される知財テーマの多様性』については、後述します。