7.教育ビジネスとボランティアの限界
知財教育をビジネスとしようとする動きが盛んになってきた、
と感じられる方は増えているのではないでしょうか。
しかし、大きなビジネスにはなりにくいように思います。
視点を変えれば、教育がビジネスになりにくい日本の土壌こそが、
日本を支えているとも言えるのではないでしょうか。
すなわち、後輩を育てるのに何らの見返りも求めない日本人の気前良さこそが、
後輩を育ててきたと言えないでしょうか。
ただし、教える側が限界に来ている、と感じる場面も多いのです。
交通費と一般的な謝礼では、割に合わないので、通常は本業を優先せざるを得ない。
ハートは熱くても霞を食っては生きられない。
採算が合わないのに引き受けてくれる先生は教えるのが上手である場合が多く、
あちこちで引っ張りだことなります。
支援センターの運営委員も頼りがちとなる。
支援活動というボランティアは、最前線では限界が大きく現れているのです。
政治的にも社会ニーズからも支援活動は正しいのだから大学支援をすべきという「べき論」では、
講師を引き受けてくれるインセンティブが小さすぎる。
理想論ではビジネス(個々の弁理士の活動)は動かせない。
とすれば、ビジネスが動きそうな方向を模索するのでしょうか。
それとも、採算の合わない「べき論」を貫きつつ、
合わない採算は公的なお金(たとえば弁理士会の予算や税金)で穴埋めしていくのでしょうか。
経済的な問題はすぐに解決しないとすれば、協力してくださる支援委員の絶対数を増やし、
増大し続ける負担をシェアするという方策しか私には思いつきません。
こうした問題を会員個々の本業と会全体としての責務、各会員の義務など明確に区別しながら
、より突っ込んだ議論すべき時期が訪れていると感じざるを得ません。
→第三十四回