批判から脱皮した「建設的な意見」へのハードルを小さくするには、どうしたらいいか?
「建設的な意見」を産み出すエネルギを小さく済ませるには、どうしたらいいか?
最近考えるのは、
「建設的な意見」の完成度を完璧にしようと思わないこと、
でしょうか。
思い入れが強すぎると、自分では建設的な意見であると思っていても、
相手には、やっぱり「批判」として受け止められてしまう、
という反省は、少なくありません。
一方、「建設的な意見」の完成度が高くないと、
逆批判、逆批評のきっかけになることがある。
それをきっかけに「新たな建設的な意見」が出れば、
その意見の方が、実行しやすい。
そういう方向に進めば、本当に「建設的」だと思います。
なお、
疲れるから批判なんかしない
という選択肢もありますが・・・
何てことを書いたら、なんだか自分が歳を取った気がして
落ち込んでしまいました。
無関心という、成長へのブレーキであることに気づいてしまったので。