人間が情報を求めるのはなぜか?
と考えてみました。
現代であれば、
溢れる情報から良質な情報を選択するため、
というのが直接的な答えなのかもしれませんが、
人間の本能から考えるなら、人間が情報を求めるのは、
生存のための欲望と結びついているのでしょう。
a)食べ物は、いつどこに行ったら手にはいるのか?
b)子孫を残すためには、いつどこに行ってどうすれば良いのか?
c)食べ物を入手するためには、競争者に勝たなければならないが、どうしたらいいのか?
では、a)の情報を流す情報源となる人間は、なぜその情報を流してくれたのか?
a-1)自分の家族や仲間のため。間接的には自分の生存のため。
a-2)情報を等価交換してくれる他人のため。 直接的な自分の生存のため。
a-3)競争者を騙すため。間接的に自分の生存のため。
a-4)自分の力量を誇示し、尊敬や利益を得るため。間接的には自分の生存のため。
a-5)自分が所属する組織から仕事として与えられ、
それを全うするため。直接的な自分の生存のため。
じっくり考えて列挙すれば、まだまだあるのでしょう。
が、間接的直接的の相違があるものの、
最終的には自分の生存のためという結論は間違っていないようです。
では、a-1~5のうち、どの情報なら信用できるのでしょうか?
a-1)は、信用して良い。情報提供者が身内だからである。
a-2)は、自らがその情報のために等価交換する場合であって、
且つその情報提供者が信用できるならば、信用できるかもしれない。
a-3)は、全く信用できない。
a-4)は、その情報提供者が信用できるかどうか、にかかっている。
a-5)は、自分もその組織に所属するのであれば、まず信用できる。
ただし、その情報取得者が仕事をまじめにやり、
且つある程度の経験を積んでいることが前提条件となる。
以上をまとめると、ある情報が信用できるか否かは、
情報提供者が信用できるか否か、にかかっていると言えます。
とすれば、情報提供者が信用できるか否か、という情報を入手し、
吟味することが必要なはずです。
ところが、それを怠り時間やお金、貴重な資源を無駄にすることは
極めて多いのではないか!
反省せざるを得ません。