情報提供者が誰であるか、信用できるか否かなどを気にしなくても、
大した不利益にならない種類の情報も、確かにあります。
第一回の結論(人間は生存のために情報を求める)と
矛盾する現象も少なくないです。
生存や利益には直接関わらない情報、
たとえば、エンターテイメント性を備えた情報は、
情報提供者が誰であるか、信用できるか否か、
といったことはあまり問題になりません。
より具体的には、たとえば「笑い」といった快楽をもたらす情報です。
笑いを求めて情報検索を行うのであれば、笑いが取れるかどうか、
ということだけが価値基準となるので、
情報源が誰であろうと、関係ないでしょう。
でもそんなの関係ねぇ、でもそんなの関係ねぇ・・・
と連呼する芸人(小島よしお氏)をTVで見て、大笑いしました。
あっ、本題と外れてしまいました。
面白さ、興味といった欲望を、軽く満足させてくれる情報は、つい求めてしまう。
こうした情報は、「教養」にはならないのでしょう。
教養が伴わない垂れ流し情報を受け続けて時間が過ぎてしまうと、
虚しさを感じてしまいます。
しかし、虚しさを感じるまで時間を浪費し続けてしまう。情けない・・・