教養の高い、素晴らしいビジネスマンに接した時に感じること。
その彼は、教養の低い私に対して
「君ももっと教養を高めるように努力した方がいいよ。」
とは言ってもらえません。
「自分は教養が低くて恥ずかしい。彼のように教養を身につけなければならないな。」
と、自分で気付くしかないのです。
(気付けないことを「おとなのKY(空気読めない)」とでも呼びますか・・・)
ここに、二つの前提があります。
第一に、「気付くことができる」という能力が身についているかどうか、ということ。
第二に、「気付いた後に、教養を高める努力ができる」という能力が身についているかどうか、
ということ。
いずれの前提も、
二十代、遅くとも三十代にはクリアしておかなければならないような気がします。