短い期間とはいえ、あることを積み上げ、お金をかけた対象(ヒト)がありました。
そのヒトが自分の仕事におけるサポーターになることを期待していたからです。
その対象が時間をかけても「モノ」にならない確率が高い、という指摘を受けていたのですが、
一旦投資を始めた対象に踏ん切りをつけることができずに、「自分の期待」を信じようとしました。
結局、その対象に踏ん切りをつけることとなった時、
これ以上の時間や金を無駄にしなくて済むのだ
という安堵の気持ちが沸き上がりました。
以前の私なら、
これまでの時間や投資が無駄になった
ということの後悔の気持ちの方が先に沸き立ったのではないだろうか。
そう思いました。
この変化はなにを原因とするものなのか?
年齢、経験、といった言葉で片づけてしまいそうですが、
もう少し深い(しっくりする)言葉は無いだろうかと、現在模索中です。
(2010年6月作成)
以上