自分の業界に関係する事件や現象について、鋭く、
あるいは考えさせられる分析を目にする機会は少なくありません。
インターネットのおかげで、10年前とは比べものにならないくらい、
そうした機会は増えています。
さて、その分析を目にした後で、どう感じるか?
その分析に「明るさ」を感じることができるかどうか、
ということが非常に重要ではないだろうか
ということを思うに至りました。
どれだけ鋭い分析でも、あるいはどれほど説得力のある分析でも、
明るさが乏しいと、「心地よさ」が無い。
心地よさが無いと、分析や代案がどれだけ論理的でも腹落ちしない。
心地よさが無いと、その人に会いたいともその人の分析に再び触れたいとも思わない。
私も、こうして発信している以上、
明るさが足りないとか、少しは心地よいとか、感じていただいているのかどうか。
明るさを誰にも感じていただけないとすれば、何の役にも立たないことを発信している・・・
そう考えると怖いことです。
さて、「明るさ」の有無や程度は、分析者の「人柄」が大きく関わっているはずです。
そう考えてみると、自分が磨くべきこととは何か、が少し明確になってきます。
磨くべきことが明確になることと、磨くという行動そのものとは、違うわけであり、
行動に結びつかなければ、気付きの意味も小さいモノに留まってしまいます。
(2011年12月作成)