自分が正しくて相手がおかしいのだ、と思い込むと、
相手が目上であろうが、何らかの力を持った人であろうが
私は恐れないぞぉ
という子どもっぽさが、いつまでも抜けません。
それが「自分らしさ」だと開き直り、開き直る自分の傲慢さにも嫌気がさしている頃、
全ての怒りは、自らの傲慢さである
という趣旨の言葉を聞きました。
この言葉の全てを肯定できるほど人間ができていないのですが、
この言葉を思い出し、自分を抑制するのに役立つこともあります。
たとえば、怒りが沸いたとき、すぐに爆発させないで、それについて文章を書き、
且つ時間を置くようにする。
(爆発を抑えたり、時間を置くようにすることができる、という冷静さがあればよいのですが)
怒りを冷静に見つめられるようになれる場合となれない場合とがありますが、
なれた場合には、「自分の傲慢さ」に気付き、反省することができます。
なれなかった場合であっても、別の機会に「自分の傲慢さ」に気付かされる場合は多い。
その場合には、小さくまたは大きく落ち込んだり、反省したり。
自分にとって、怒りを収める、ということは、
子供っぽさとオトナの対応を同居させること・・・のような気が、今はしています。
(2012年6月作成)