あるプロジェクトのワークショップに参加する機会がありました。
数年に亘って活動しているプロジェクトを本年2つに分け、
新たにスタートさせるプロジェクトのメンバーとなったのです。
さて、そのワークショップは、事務局が進行役だったのですが、
プロジェクトのリーダZ氏と思われる方がその進行を実質的に取り仕切っていました。
進行スケジュールが事前に配布されていたのですが、
Z氏は、スケジュール案を無視したのか、20分以上も持ち時間を超過。
この後はどうなってしまうのか、という心配をしていたところ、
次の発表者であるY氏が自分の持ち時間を削ってくださったおかげで、
5分程度の遅れにまで時間調整されました。
ディスカッションの時間帯でもZ氏はしゃべり続け、ワークショップの終了時間が迫ってきた時に
事務局が割って入り、ようやくZ氏を止めていました。かなり気を遣いつつ、に見えました。
Z氏の肩書きを名簿でチェックしてみると、事務局を引き受けてくださっている組織の「顧問」
という肩書き。
色々な場面でそのリーダは、従順な部下のように「事務局」を使っていました・・・
サラリーマン社会では、似たようなことがたくさんあるでしょう。
リーダとしての自覚(または資質)に欠けているのに、リーダになってしまう人。
自覚に欠けているのであれば、自覚を促すような発言をすれば良いとも言えますが、
そうした発言をするには、それなりの勇気と覚悟が必要です。
(勇気を奮い起こして私ができたのは、「間接的な問題提起」まででした。)
(2012年7月作成)