当たり前のことなのですが(似たような内容を書いた記憶もあるのですが)、
自分の頭の整理として書いてみます。
発信しようとした時、様々な「制約」に気付きます。その「制約」とは、
著作権法に基づいて考えた場合に他人の権利を侵害しないか?
といった法律的な知識、
他人の誹謗中傷にならないか?
といった倫理的な観点、
客観的な事実と自分の主観とがどうなっているのか
といった情報としての質の観点、・・・さまざまあります。
こうした「制約」を「面倒である」と考えれば、発信することはできないか、
発信して非難を浴びるか、となります。
面倒、あるいは非難を浴びたくない、という消極的な姿勢になれば、
自分の安全は、ひとまず確保されます。
インターネット上では、「ROM」(読むだけのヒト)が多くなります。
これだけ考えてみても、発信するということは「簡単ではない」のです。
発信しようとしたが、様々な観点を考慮して発信を取りやめる、
という情報は、少なくありません。
そして、そうした「ボツ」となった情報が溜まっていきます。
その「ボツ情報」は、リアルなコミュニケーションの中でしか得ることはできません。
しかし、「役に立つ情報」の多くは、そうした「ボツ情報」の中にあるので、
ボツ情報を蓄積していくことも、『情報発信で鍛えられる力』です。
なぜ、そう言い切れるのか。
このブログの記事を読んでくださっている方とお会いし、彼からの質問を含む雑談した時に、
「書けなかったこと(ボツにした内容)こそ、その方が欲する情報だった。」
と実感したからです。
(2012年12月作成)