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◎分かって貰える人がいた嬉しさ

 ある社会人大学院生と話をする機会を得ました。
彼は仕事や大学院生活において、何人か弁理士に接した経験がある、とのこと。
 さて、そういう彼が私に対して

   的場さんは、私が知る弁理士とは異なる予想外のコメントをする

という趣旨のことを仰っていただきました。
 褒めてもらった気になった私は、その後の会話では、
自分の職業感やらポリシーやらを、調子に乗って喋ってしまったかな。

 しかし、

   自分が標準的な弁理士ではない、という客観的な評価を得た

ということに対して、それから、

   (初対面でも、長く話をしなくても)分かって貰える人はいるのだ

ということに対して、今思い出してみても嬉しさがこみ上げてきます。
 自分のことを理解してもらったときの喜びが大きいのは、
「天職」を探求する私の内面には孤独感が宿っている、という裏返しなのかもしれません。

   (2013年6月作成)