同業の友人と、「一文が長いこと」について、議論する機会がありました。
「一文が長いこと」による弊害は、読者が読みにくい、翻訳がしにくい、などの問題点が、昔から指摘されています。
今回は、一文が長くなる癖(が直らない理由)について考えてみました。(いつものように、自分への反省を込めて)
一文を長くする筆者は、きっと「短くしようと思っていない」であろうということ。
弁理士、特に特許明細書の作成に関わる弁理士は、自分の文書へのこだわり(プライド)がある。
そのため、自分の作成文書の一文が長いと思っておらず、「悪い」とも思っていない。仮に指摘されても、「いや、自分よりももっと長い一文を書く同業者はごまんといる」と、相対評価を自分でする(そうすることで逃げる、あるいは忘れる)。
この業界では、年長者ほど一文が長い傾向にあるかな。この仕事に就いたら、まず年長の指導者から指導を受ける。
そのため、その年長者に引きずられ(批判することができず)、いつの間にか自分も受け継いでしまう。
長文を原因として特に問題を発生させることなく、そのうち(いつの間にか)ベテランになってくる。そうなると、直す必要性もなく、癖として定着してしまうのでしょう。
同業者からの指摘に耳を貸さなくなったとすると、異業種の方からの指摘が頼りになります。
(そもそも聞く耳を持っていなければ、異業種の方と有益できちんとした交流はできないと思いますが)
しかし、異業種の方から指摘があったとしても、素直に耳を傾ける人は多くないように思えます。
いや、この業界ではこれが普通だから
としてしまうのでしょうか(成長も止まります)。
(2013年10月作成)