資格試験に合格したものの、所属する組織からはその資格を認めてもらえないため、
「登録手続き」をしてない、という同業者(女性)からのお話を聞く機会がありました。
登録には、安くない初期費用、安くない月額会費が必要なので、
組織がその費用を出してくれない場合、自腹ではきついというのは、実態であろう。
一方、 組織にいることで資格が無くても困らない、お金を得られる。
その程度の認識はしていました。
その上で、
資格が自分のアイデンティティであるならば、自腹でも登録すれば良い
という程度に考えていました。
しかし、彼女の話をじっくり聞いていると、
たとえ自腹で登録しても、組織から与えられる名刺には
その資格名を肩書きとして入れてもらえない
というお話が出てきました。
自分が所属している組織が、自分の資格を認めてくれない
ということに対して、憤り、落胆を感じているのだ、ということを理解しました。
人間、認めてもらいたい、という欲求は、小さくありませんから。
自分が彼女の立場だったらどうするだろうか?
と考えることで気付いたのは、
資格が自分の発想や立場を狭めていないだろうか
ということでした。
資格があると、周囲の人間はその資格者であるというフィルタで自分を見ることになるでしょう。
そうすると、フィルタ無しの自分よりも「幅」は狭められて扱われる。
資格が無いことによる自由さを活かせば良いのではないか?
「資格」は天職に近づくために役立つのか(邪魔になりはしないか)?
という疑問と格闘すること(格闘する時期)があっても良い(あるべきだ)。
私は、そう考えるのです。
(2014年5月作成)