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◎保守的になることの功罪

 年齢を重ねると保守的になる、という言葉は、
若い頃には嫌悪感に近いモノを抱いていました。
 自分はそうなるまいと。

 しかし、その頃から年齢を重ねた自分は、色々な面で保守的になっています。
「残念ながら」、「ご多分に漏れず」といった枕詞を付けるべきなのか?
 そうかもしれないという面もありますが、
そうでもない、と思う面もあります。

 自分が試行錯誤することで確立してきた仕事のやり方などは、
経験に裏付けられているのだから、ネガティブな要素は少ない。
(少ない、と思えなければ、これまでの自分に自信が持てない、ということにもなりますね)

 一方で、次から次へと変化するIT機器(特に入力デバイス)に対しては、
変化に対応できない自分を棚に上げ、IT機器(の開発方針)へ怒りを覚えるケースが
少なくありません。
 入力、という基本動作までを変化させる対応能力が落ちてきているのでしょう。
自分の限られた(落ちてきた?)パフォーマンスを、そうした変化に振り分けたくない・・・

 自己弁護のために屁理屈を述べてみます(自己弁護する必要など無いのでしょうが)。
 若い頃は、『保守的になることは悪の面が多い』という固まった見方しかできませんでした。
その頃から年齢を重ねた今は、保守的であることの功罪を実感でき、
保守的になることを受け入れる柔軟性を身に付けた、と言えます。
 (屁理屈がうまくなったのは「功」でしょうね・笑)

   (2014年9月作成)