ある夢を実現しつつあるプレゼンテータによるプレゼンテーションを聴きました。
そのプレゼンテータは、少年時代の先生方に、自分の夢を潰されるような言動をされた、
と告白していました。(そんな夢のようなことは、ムリだ! 現実の勉強をしろ! と。)
夢を潰されないためには、こんな風にしたらいいのではないか、というのが
そのプレゼンテーションのテーマ(のひとつ)だったと、私は解釈しました。
さて、その後しばらくしてから私が気づいたのは、
プレゼンテータ自身は、潰そうとした人がいたのに潰されなかった
ということです。
a)先生に夢を潰されかけたけれど、潰されないようにした
b)先生に夢を潰されたけど、あるきっかけで再チャレンジした
c)夢を潰そうとする先生に、ひたすら抵抗して守り続けた
プレゼンテーションを思い出してみると、c)ではなさそうでしたから、
a)またはb)なのかな。
しかし、a),b),c)のいずれであったとしても、心が強かった、
というのは共通しているのではないでしょうか。
しかし、持って生まれて心が強かった、というわけではなさそうでした。
ということは、誰かと出会い、誰かに育てられ、心を強くすることができたのでしょう。
持って生まれて心が強い人も、潰されたことがない人、など滅多にいない、
と考えるのが自然でしょうか。
誰でも、自分の夢は潰れされそうになる。時には潰される。
しかし、潰れた(または潰されそうになった)夢を、もう一度見る、掴みに行くためには、
次なる出会い(の中から新たなことに)に気づいたり、
自分を育ててくれようという周囲の人の愛情に気づいたりする。
そんな「気づく能力」がとても重要なのではないか。
(2014年11月作成)