世の権力者が情報統制を使用とする、というのはいつの時代にもあるのだなぁ、
と新たに始まった大河ドラマの一場面を見ながら思いました。
また、統制しようとしても、漏れるモノは漏れるのだ、ということも。
さて、肝心なのは、そうした情報をどのように咀嚼して活用するのか、ということ。
第一に、その情報は信頼できるのか、妥当なのか、不適切なのか、・・・
第二に重要なのは、自分で考える、ということができるか否か、ということ。
(前提として、自分で考える能力を身に付ける、身に付けようと常に意識すること)。
第三に、「あまり考えない人」がその情報を入手したらどうなるのか、を想像すること。
世の権力者は、ここを考えた際に、「統制すべきか否か」を判断するのでしょう。
時代は変わり、情報の統制は困難となったと言われていますし、
事実、困難となっていることを、様々な事件を介して感じます。
しかし、上記の第一、第二、第三のステップは変わりません。
そう心得てはいるものの、時として各ステップがおろそかになることもあります。
A氏の発言だから大丈夫だろう、とか、
誰かの考えに賛同して自分の頭で考えたつもりなっていたり、とか・・・
情報の達人たちは、常に「その先」を考えているだろうから、
自分の頭で考えることを常に意識していないと、
更に、気をつけるレベルを常に上げようと努力しないと、
流されてしまう(達人たちに手繰られてしまう)のだ、と思うのです。
(2015年1月作成)