同窓会が増える、というお話を先輩からお聞きした十年ほど前に、
「ふ~ん」という感じで聞き流していたのはなぜか?
「先が見えない」という苦しさが今より強かったから
ではないだろうか、と、思います。私の場合、
今の仕事が自分の天職とは思えない
今の仕事を、「自分の天職」とは割り切れない
といった想いは、十年前に既に無かったはずですが。
もし、十年ほど前に同窓会への誘いがあったとしても、
今ほど熱心に、何とか出席したいな、とスケジュール調整しなかったでしょう。
出席することでその時の苦しさを一時的に紛らわすことができたとしても、
紛らわすだけだ、と直感していたのだと思うのです。
苦しさに特効薬はないし、真っ只中にいる生き方を変えるタイミングでもないだろうとも。
生き方を変えた(仕事が変わったとか)のであれば、報告かたがた同窓生に会いたい、
ということはあるかもしれませんが、少なくとも私にはそうした動機はありませんでした。
ここまで書いてみると、生き方を確認したい、というのは一種の余裕だ、
ということに気付きます。
同窓会へ出席していない同級生は、未だに「先が見えない苦しさ」を感じているから、
かもしれません。
(2015年6月作成)