自らが老害になっていることに気付いていない人
老害になっていると自覚がある人
の二種類のタイプがいらっしゃると思っています。
同じ集まりの中に両タイプがいらっしゃったとすれば、
後者の方が与しやすいと思うのは、私だけではないでしょう。
さて、何れのタイプであっても、共通の疑問があります。
老害と疎まれる集まりに、なぜ留まろうとするのか?
ということです。
色々なビジネス書に書かれていそうなことなので、言及は避けますが、
居場所がない寂しさ、という辺りがキーワードでしょう。
影では「老害」と呼ばれているにもかかわらず、
チヤホヤされたいがためにその集まりへ出掛けていく、ということが、
今の私には理解できませんが、
もう少し年齢が上がると理解できるようになってしまうのでしょうか・・・
老害と呼ばれる前に準備しておくことは、「次の居場所」と、
「そこでの仲間」でしょうね。
準備しておく「次の場所」が一つだと怖いですから、
複数準備しておくのが良いのでしょう。
蛇足、余談ですが・・・
インターネット上にそれを求めた場合、『居場所がない寂しさ』が埋められるのかどうか、
私には分かりません。
しかし、現実に「次の居場所」が存在するならば、
「そこでの仲間」に頻繁に会えない寂しさであれば、
インターネットというツールで、かなり埋められるという気はしています。
(2016年12月作成)