評価経済とは、「評価」を仲介として、モノまたはサービスとお金(貨幣)とが交換される社会のこと。
貨幣経済(による社会)は「貨幣」を仲介にして「モノ」「サービス」が交換される社会である。
評価経済においては、貨幣が不要になるのではなく「貨幣」が「評価」に従属するようになる・・・
というような定義を調べていて、ふーん、と思っていた直後、
「評価経済」のうちの「経済」ではなく、「評価」にスポットを当てて考える機会がありました。
世の中の多くの悲しみ、哀しみ(時におかしみ)は、「比較」をすることに原因があるのではないか。
「誰々よりも低い」、「何々社のようになりたい」、「昨年に比べて落ちた」・・・
相対評価ではなく、絶対評価で満足なのであれば、多くの悲喜劇を避けられるのかもしれません。
しかし、絶対評価は、評価する側にも評価される側にも、難しさがあります。
だから、絶対評価をできずにに相対評価へ流れ、相対評価ゆえの悲喜劇に巻き込まれるのでしょう。
であれば、相対評価も絶対評価もせず、「感じる」だけにとどめれば良いのではないか・・・
しかし、その「感じる」には、素直さ、純粋さが伴わない時、不自然さ、嫌らしさ、が入り込みます。
たとえば、「~~の時に比べて、XXな感じがする」といった感じ方では、
素直な自然な感じ方ではない気がします。
新しい恋人に、「前のヒトに比べて・・・」と言ってしまったらアウト、ですよね。
ネットの急速普及によって広まっている「評価経済」における社会の悲喜劇も、
自らの判断でモノやサービスを評価ができないから引き起こされているのでしょうね。
(2017年2月作成)