正直者としてバカを見た場合、本人は、
後悔および反省と 「正直だからこそ自分なんだ、という思い」 とで葛藤するでしょう。
正直者として損をする(特に、経済的な損失を被る)場面で周囲にいた人は、
同情してくれたり、オトナになれよと諭してくれたりします。
時には、損した分を埋め合わせてくれるような仕事を紹介して下さったり、
ということもあるでしょう。
そうした応援をする側の人は、ご自身が正直者を止めてしまった後悔やら、
正直者に対する共感やらが、行動の源泉なのかもしれません。
「自分にはできないから羨ましい」と思っているから、という想像もします。
一方の正直者も、
_ そうそう助けて貰って(迷惑を掛けて)いるわけにもいかないなぁ
と思うことがある、或いはそういう時期が来るのかもしれません。
となると、その正直者もオトナになろうと行動を変える(かもしれない)。
いずれにしても、正直者は、「バカ」だけを見るのではなく、
オトナには見えない自分の心の中や他人の言動を見ることができる(ような気がします)。
ただし、オトナならば見える景色を放棄しているために見ることができないモノもあり、
見ることができないから知ることができないこともある。
見えない、知ることができない、ということを、良いことだと思ったり、
開き直ったりするのは、「オトナではない」というより「コドモっぽい」の方が的確かな。
「できない」ことに謙虚である方が良いな、と最近では考えるようになりました。
(2018年7月作成)