誰の引用もしないオリジナルなネタで書き続ける、という自らの課したポリシーは、
「ブログ」という新たなメディアが使われ始めた頃、
ブロガーの中で「差別化して生き残るため」に考えたことでした。
何かの記事に反応する、というなら誰でもできるし、
実際に誰もがやっている、と感じたからです。
しかし、12年を経て、「生き残れたのか?」ということを検証はしていません。
記事の数が1000を越えた、10年、11年と連続している、、、
といったことをフェイスブックにアップすることや、
日常の中からネタを見つける力が付いてきたと思うことで自己満足していました。
_ 力が付いたはずの自分が、誰かのためになっているのか?
と自問した見た時、自分への言い訳(*)が並ぶのです。
その言い訳にも飽きてきた。
でも、「他の遊び道具」が見つからないから、
「同じ遊び道具」での異なる遊び方を賢明に絞り出してきたのでしょう。
「他の遊び道具」を見つける努力をしていなかったわけではない
(と、ここでも言い訳をしておきます)。
そして、この数週間で、「何か」を掴み始めた気がしてきました。
より多くの方から「信用」を得る行動が必要だ、ということです。
そのことを、年頭に際して書き残しておきます。
* オリジナルのネタ探究を継続していることでの自分への言い訳
発明者のオリジナリティを見つけたり、共感を得られやすい言葉を探せる、
大学での講義中、「質問に対する的確な答え」を即興で探る力が付いた、
あらゆる会議の場で、「何らかの異質な意見」を出せるようになった、
といったことでしょうか。
(既に、別の記事として投稿したことがありますね)
(2019年1月作成)