子育てが終わった頃、ホッとする。
周囲からそういう台詞を聞く年齢になりました。
ホッとする、と言いながら、
「子離れ」ができた上で、子育てが終わったのならば、
本当にホッとするであろうが、
「子離れ」できずに子育てが終わったのならば、
真からホッと、はできないのではないだろうか・・・
そんな想像しました。
親の方が子離れをしていないなら、
安心の境地には至っていないだろうから。
動物の生態を紹介するドキュメンタリー番組を観ていると、
どんなほ乳動物も、子どもが自立できるように子育てをしています。
保護しつつ、ちょっとずつ危険を体験させたり、
点滴の怖さやその対処法を教えたり、
自分で食べ物にありつけるような教育をしています。
「教える」のではなく、
「自分で考え、行動できるように育む」というのが
ほ乳類の子育てなのでは、と考えさせられます。
人間社会が複雑になることで、親が体験してきたことを
忠実に教えても生き残れないのではないか、という不安から、
「子離れ」ができなくなっているのかもしれない、
とも想像します。
しかし、どう複雑になろうが、子離れは必要です。
その子離れができるかどうか、ということを
「スキル」とすれば、どんなスキルなのか?
第一に、
「社会が複雑になる、予想が付かないことも起きうる」
ということを教えられるスキル。
第二に、
親でも思いつけるかどうか分からないことでも、
子ども自身がそれを認知し、自ら判断し、行動する、
ということを、「教育」できる(少なくともチャレンジする)
ことが必須である、ということを教えられるスキル。
第三に、
「まあ、この辺で見切りを付けよう」という見切りができるスキル。
以上の三つではなかろうか、と考えたのでした。
終わったからと、偉そうに書いているつもりではなく、
自分がどうだったのか、という記録のために。
(2019年2月作成)