若者を、以下の三種類に分類してみる。
α;とても優秀な若者
β;まあ優秀な若者
γ;依存体質の若者
一方、年寄りも、以下の三種類に分類してみる。
a;経済力も政治力もある老害(αを怖がり、潰そうとする)
b;経済力がそこそこの老害(経済力を維持しようとする)
c;ぶら下がり老害(ほぼ無害)
私は、ひとまず「第三者」として考えてみることにする。
若者αは、たぶん生物的な生存本能として直感的に行動している。敵を避け、場合によっては敵を倒し、変化していく。
だから、若者αのことは、第三者としては放っておいて(眺めているだけで)良いと考える。老害aに邪魔をされることはあっても、必ず道を自ら切り開くから。
若者αは 直感で動いているので、その行動に対して(第三者としての私の能力で可能ならば)理論的な妥当性を見い出してアシストしてあげたい。 少なくとも批判をすることはしたくない(したら「老害」になる)。
若者βは、老害aや老害bに邪魔をされるとγへ落ちてしまう可能性がある、と思う。
だから、若者βを老害bからは守ってあげる。また、老害aにつぶされないために、 (守ってあげるのは困難なので) 知恵を貸したり行動したりしてあげたい。若者βが力をつけてαへ昇格したら、老害aには自ら立ち向かうだろう。
一方、助言や助力をしても、力尽きて若者γへ落ちていくこともあるだろうが、仕方ない。
若者γに対しては、βになった方が良いよ、と刺激をしてみる。
その刺激に反応せず、βになれない言い訳を並べ、愚痴をこぼすだけなら、 その後は関わらないようにするだろう。