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講義は片思いのようだ

単位を認定するという重大な責務のある大学の講師を初めてやったのが2005年。

19年ぶりに、単位認定という仕事がない「前期」を過ごしています。

学生さんの前に立つ、ということで、

「自分が何を伝えられるのか」ということに力が入っていた、というのが初期の頃でした。

単発の講義を含めると、多数の大学のほか、商業高校、普通中学などでも経験を積み、

肩の力が抜けてきて気付いたこと、得たこと、

ちょっと書いておきます。

1)自分が大切だ、と思うことの多くは、繰り返さないとなかなか伝わらない。

 (つまり14~16回の毎週の講義を通してようやく伝わるのであり、ゲスト講師や単発の講義では困難)

 自分に知名度が無いからであり、学生に対する信用や信頼を構築するのに時間(回数)を要するから、

 なのでしょう。

 スティーブ・ジョブズ氏のように知名度があれば、最初から信用や信頼を獲得しているので、

一言一言に重みを感じてもらえるのだろうけれど、

 そうではない自分は、一期=14~16回を全力でやり続けて、何割かの学生にようやく伝わった、という感じを抱けました。

2)大学生の知的レベルが私とつり合っていないと、受け取ってもらえない。

 「偏差値」という言葉は好きではないけれども、

 偏差値が低いと言われる大学生には、繰り返しても伝わった感じを残念ながら持てませんでした。

 自分の聞きたいところしか聞いてくれないし、自分が聞きたいように誤解することも多かったです。

 一方、地頭が自分よりも良すぎる学生を相手にした単発講義では、全く通用しない敗北感も味わいました。

3)自分との相性が良ければ、年齢や性別は関係なく伝わるし、

 相性が悪いと、こちらがどれだけ歩み寄っても上手く行かない。

 自分の経歴というか経験や持って生まれた性格などとしか言いようがない「相性」の良さがあると、

 中学生でも良いインパクトを与えられるようでした。

 逆に、相性が悪いと、何をやってもダメ。

 ただし、学生さんにとっては、相性が悪いなりに得られるモノがあるようです。

 (そこで得られるモノがポジティブなモノではないとしても)

 以上、備忘録的なメモ でした。

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